靴作りの様子

名古屋市における製靴業は、1887年(明治20年)ごろ、塩町(現、幅下一丁目)で馬具商を営んでいた者が革靴を見ながら製造を始めたといわれています。当時の革靴はミシンがなく、茶利革という馬具に使う革を用い、手縫いで作られたものでした。
その後、現在の名西、則武新町あたりで革靴の製造が盛んに行われました。このあたりは、古くから太鼓などの革製品を扱っていました。西区中小田井に伝わる太鼓の内側のは「天保十一子九月 尾張名古屋 押切 御太鼓所 平野小市良金名作」(天保十一年は1840年)の銘があります。
こうして芽生えた製靴業でありましたが、当時の庶民の履物と言えば、草履・下駄がほとんどであったため、需要は伸びませんでした。
その後昭和に入り、革靴の需要も少しずつ増加しましたが、日中戦争により、皮革も他の物資と共に厳しい統制下に置かれました。この経済統制は太平洋戦争中も続き、製靴業は停滞していきました。
太平洋戦争が終わり、物資の統制が撤廃されると、革靴の需要も伸びていきました。靴の普及によって、需要が下がった草履、下駄の製造からも製靴に転業する者も多く、業者の数も増えていき、1952年(昭和27年)には、名古屋製靴卸組合が結成され、このころになると、直接消費者に靴の小売りをする者が多くなり、さらに靴の需要が伸びました。
これまでの製造方法は、手で縫い合わせたり、靴底を鋲で打ったりしていました。昭和30年代になって強力な”ボンド”が使われるようになり、昭和40年代にはいると靴の製造のほとんどが機械化され、生産高は約10年間で倍増しました。
現在、安価な革靴が輸入され、さらに後継者不足という問題もあり、工場は減少傾向ですが、婦人靴を主体とした需要に支えられながら工場を維持しています。また近年では、靴作りを教える教室「靴デザイン・クラフトスクール」を開講し、技術を伝達する取り組みも行われて”います。

参考文献「西区100年の歩み」

長きにわたり受け継がれてきた靴、鞄などの皮革関連製品の製造工程、技術力を広く市民の方々に知っていただくとともに、その文化並びに技術・技能の継承に寄与することを目的として活動をしています。

お問い合わせは、靴デザイン・クラフトスクール

052−581−2728

ナゴノスペースとものづくり文化の道

名古屋市西区名駅二丁目27番6号にナゴノスペースがあります。そこは交通局の旧那古野車庫であり、東京建物(株)が中心となって開発した名古屋プライムセントラル(9,700㎡の敷地に延床面積約5万㎡のオフィス棟と134戸の住宅棟)の立体駐車場の一角、地下鉄名古屋駅から歩いて5分くらいの時間距離。ちょうど名古屋駅前のビジネスゾーンと西区に拡がる「ものづくり文化の道」の接点にあたる場所になります。

ナゴノスペース
ナゴノスペース

ナゴノスペースは「ものづくり」をテーマに人々が交流し、「ものづくり文化の道」について情報を発信する拠点です。防災備蓄倉庫(約30㎡)を含めて約170㎡の空間を持っています。地域の賑わいと交流を促すコミュニティスペースです。これまではこのような拠点がなかったため、イベント時に「ものづくり文化の館」と称して、「ものづくり文化の道」の展示やものづくり実演による紹介を行ってきましたが、これからは常設できるようになります。
 ここには靴づくりを学んだり、靴づくりのプロセスを見せたりする靴工房と靴店舗(シューズ・ボナンザ)、菓子製造業や問屋が集積している当地域ならではのお菓子展示販売スペースを常設として、週替わり、月替わりで展示内容を変えていく交流展示スペース(30㎡)があります。この交流展示スペースはものづくりにかかわるできるだけ多くの人々に利用してもらいたいと考えています。

ものづくり文化の道
ものづくり文化の道

このエリアは、江戸時代から軽工業や手工業が盛んで、現在でも友禅・扇子・和凧といった伝統的なものから菓子・革製品・楽器などの産業まで、さまざまなものづくりが行われています。さらに、ものづくりの歴史を残す施設として、トヨタグループの発祥の地となる「トヨタテクノミュージアム産業技術記念館」と近代窯業の発祥の地となる「ノリタケの森」の2つの拠点施設があります。また、こうした「ものづくり」を育んできた特有の歴史的な町並みや歴史文化があります。東海道と中山道を結ぶ連絡路として大きな役割を果たしていた美濃路、堀川端には築城とともに清洲越しを中心に形成された名古屋商人の旧商家が軒を連ねる四間道(しけみち)、さらには、全国的にも珍しい屋根神様(庇の上に載る小さな祠〔ほこら〕)などがそれです。ここで暮らす人々や働く人々の日常生活を支える円頓寺商店街なども街の発展とともに大きくなっていきました。
「ものづくり文化の道」とは、ものづくり名古屋の源流がここにあり、名古屋駅から最も近い観光エリアであると言うことができます。同時に、手ごろな費用で手作りの製品が入手できる暮らしは、豊かな生活を提供することになります。観光エリアと生活エリアのバランスが重要です。